今日は炊飯器のタイマーを夕方にセットし、活性玄米を炊いた。
冷蔵庫を見ると卵が残っており「消費のためには卵かけご飯かなぁ」と思いネットで卵かけご飯を見ていた。
これこそが究極の卵かけご飯と言う記事はいくつも見つかったが、元来”卵かけご飯を食べない私”にはどれも試してみたくなるようなものは無かった。
ただ「よく混ぜるレシピが多い」ことに気が付いた。
「よし、手作りマヨネーズを作ってみよう。
特にこれと言ったマヨネーズをかけて食べたいものがあるワケじゃないけれど。」
材料はマスタードは無いのはいいとして、酢が梅酢である以外は揃っていた。
私のブログの記事が減った理由
・画像のアップロードが一手間も二手間も増えた
・スマホから自動で画像を取り込んでいたNASがクラッシュした
・スマホからブログの記事を書くのが非常にやりにくくなった
・スマホのメールからブログに記事をアップ出来ないようになった
・料理の頻度が減っている(ただし美味いものは食べている)
・食べ物ネタの記事もマンネリ化していて新ネタが無く載せにくい
・スマホが物理的にクラッシュし保険を使って新品と交換した。データは移せているが、設定に意欲が湧かない
こういった結果、ブログの記事が激減している。
つぶつぶつ料理のもちキビポテト
左が私の作ったもちキビポテトで、右が妻の作ったナスのオランダ煮だ。
どちらも実家で貰ったじゃがいもとナスを使っている。
素晴らしく美味しく出来てて、大満足の食事となった。
本来のレシピだともちキビポテトにはたまねぎを入れる事になっているのだけど、妻がねぎ系がダメなためミックスベジタブル(オーガニック)的なものに置き換えて作っている。
倍単位で作ったのでまだまだある。
うちの一番大きいタッパに入りきらなかった。
物凄く美味くて、きっと実家では見た事も無い料理だと思うので、持って行きたいぐらいだ。
いや、食切る方が先かなぁ。
まるで断捨離が無い飲食店にビックリ
以前から妻と「いずれ行ってみたいね」と言っていた飲食店があった。
そこは料理の質が高く、ネットでも評価が高く、人気があるようだった。
昼しかやっていなく、その日の仕込み分が終わると閉まってしまうお店だった。
探さないと分からないような隠れた場所にあり、一度妻と駆け付けた時も、すでに品切れしていた。
そんな人気店で今日食べる事が出来た。
丁度仕事でその近くを通った時に寄ってみたら、運よく入れたのだ。
お店に入ると、先ず物凄い熱気に驚いた。
「暑い!」この季節なのに灼熱の外の方がまだ涼しい。
メインの食材を加熱しているためなのだけど、お店の構造から熱がこもっているようだった。
それでもお昼を過ぎてまだお客さんは続々来ているようで、順番待ちの紙に名前を書き、待合席に座った。
店内を見渡すと、驚くほど張り紙が多く、おそらく店主からであろうメッセージが書かれていた。
メニューは木の札になって掲げられている他に手書きのものもあり、短期間のメニューなのか手書きの1枚紙のものもあった。
そして、手書きの基本メニューの一覧もあれば、並盛大盛の価格の比較の一覧があったり、トッピングや季節のメニューを書いたものが無秩序に貼られていた。
カウンターの上を見ると、待ち時間がよほどあるのか知恵の輪が置かれていた。
なんだここは?断捨離生活を送っている私にはかなりの違和感を感じた。
そしてその中でお客さんは仲間連れで来て、ゆっくり大盛を食べて、話に盛り上がっているようだった。
ビールを飲んでいる人もいたし、その人はついには他の団体とも話していた。
数台の扇風機を回して対処しているようだったが目が回る暑さだった。
そして私が案内された席はおそらくトップレベルに暑い席だったと思う。
久々にBlogに載せれる未来食
記事を書かなさ過ぎたら
スポンサーサイトの広告が出るようになるのか、それはいかん!ので阻止のために投稿。
だって私はそのスポンサーから直接にはサービスを受けてないし、広告をしようとも思わないから。
結婚指輪を紛失したけど、見つけ出した
今朝、私の結婚指輪が無いことに気が付いた。
普段から家では外しているのだけど、いつまで指輪を付けていていつ外したかが全く分からなかった。
朝に探し、仕事に行き職場でもサラッと探し、昼に一度戻ってきてまた探し、また仕事に戻った。
妻には朝気が付いた時点ですぐに伝えてはいたが、他人には話さなかった。
ネットで「結婚指輪 無くした」などのキーワードを見てみたり、Oリングテストでありかを探してみたりもした。
ネットで見た中では「水回り」「最初に探した場所」と出てきて、これを試してみたいと思った。
また考え方として「結婚指輪を無くしたら探さなくて良い。なぜなら指輪にはお守りとしての機能があり、重大な被害の身代わりとして無くなった。」とか言う話も興味深かった。
もし本当に出てこなかったらこれを唱えていたと思う。
帰ってきて、「最初に探したところ」のキーワードから昨日はいていたズボンをもう一度調べた。
ポケットには見付からなかったが、逆さまにして振った時にどこからともなくポロンと指輪が落ちて来た。
今日は物凄く落ち着かない日を過ごした。
妻は「もう出てこない気がする」と言っていたが、そうはならなかった。
私はもう何もかもが”許されない”ぐらいの気持ちになっていた。
指輪を探す以外の事が”許されない”もし指輪が出て無ければ、今もそんな気持ちだったろう。
恐ろしい。
指輪を無くしたことの無い人は、付けない人かまたは外さない人のようだ。
私も指輪を外さない生活を試してみようかと思った。
普段なら絶対にそんな事は思わないのに。
さよならMy自転車プレスティーノ
私の愛車プレスティーノが老朽化し、メンテナンス費用がかさむようになってきていた。
この冬に全く乗らずにいて、春になり出して来てみると、先ずはホコリだらけではあったのだけど、、、。
後輪にデカい穴が開いているようで、空気を入れてもスゴイ勢いで抜けてしまう。
パンクの修理がてら、自転車屋さんに持ち込み、見てもらうといろいろな問題点が見付かった。
タイヤが裂けているし、前ブレーキも歪んでいるし、変速機も狂っているようだし、あちこちサビサビ。
修理すると安価な新車が買えるほどの金額にになるようだった。
そもそも、あわよくば安く直してGW中ぐらい乗ろうと思っていたが、そうも行かないと思い知らされた。
もはや手放すしか無い状況だった。
下取りして貰って新車を買うにしても実際、今の生活では自転車が要らない。
最低限のスペックの自転車でも所持する理由が見当たらない。
妻の自転車1台で我が家は事足りてしまう。
では、自転車を手放すにはどうしたら良いか?
妻にその場で電話し相談すると、「いったん持ち帰る」選択になった。
自転車を押して帰っていると途中で妻から着信が入り、
「そのままどこそこの廃棄場に持っていけば無料」と非常にクールな情報を妻が教えてくれた。
かくして私はそのまま廃棄場へ向かった。
クールに廃棄場の自転車置き場にプレスティーノを置き、歩いてキャラバンサライに行き、クールにアイスコーヒーを飲み、妻の迎えを待った。
我が家の自転車保有台数は1台になった。
妻はめちゃくちゃかっこいいN-BOXスラッシュに乗って迎えに来てくれた。
スラッシュも汚れているのでGW中に洗ってワックスかけてやろうかな。
キズ付いてしまっている部分も早く治した方がいいんだろうな、、、。
リズボクに新しいレッスン、初級スティックVersionが出来た
リズボクに新しいレッスン「初級スティックVersion」が出来たと聞き、現場に急行した。
久々に平日夜のレッスンを受けた。
初級スティックVersionはあくまでリズボクのレッスンであり、それをカリスティックを持って行う形のようだった。
なので相対してスティックを打ち合う事は無く、ひとりでスティックを振るエクササイズになっている。
覚えて持ち帰りやすくて、とてもいい内容だと私は思う。
私なら
「これを覚えてしまうと、自主練がいくらでも出来るよ!
スティックを持ってやるから、間違った体の使い方にはなりにくいよ!
経済的な動きが身に付くよ!
意味のある筋の通った動きになるよ!」
と言って人に勧めるだろうなぁと思う。
実際にレッスンに出ると、私にとってはとても懐かしかった。
昔で言うところのリズカリの8×8と421をやったからだ。
昔はこれで打ち合いをしていたけれど、今は無し。
その代わり、スティックの握り方や振り方のキメ細かい説明があり、エクササイズ効果満点。
これにさらに、私にとっては新しいFeel8のリズカリもあった。
Feel8のは私はそもそもFeel8が出来ないもんで、これには物凄く苦戦したと言うか、手足同時の動作はギブアップして足に集中してた。
秘密の練習を行ってからまたリベンジ出来たらいいなあ。
新元号「令和」に思う
日本政府が全く信用ならなく元号の発表の前日には私はツイッターにこんな事を呟いていた。
ロボ平@robohei
明日、フェイク年号発表が起こったりバカな出来事がある気がしてならない。ガッカリしない年号が発表されて政府側が「それじゃない」とか言い出したり。なんか日本はもうどんな期待もできない国なのかと。
13:52 – 2019年3月31日
私は当日、会社にいてテレビの生中継で新元号の発表を観た。
官房長官が「れいわです」と発表し、掲げた額がワイプに被って字が見えないと言うハプニングに和んだ。
「令和」と見て、最初に思ったのが「安やら晋やらが含まれて無くて良かった、やれやれ」だった。
気にしないでいようにも気になる、待ちに待った新元号発表だったので、これには本当に胸を撫で下ろした。
どんな期待も出来ない政権なので次は意味が気になった。
国書「万葉集」からの出典だとかで、私はこれを素直に喜んだ。
私はネットでも様々な解釈を探してみた。