サンタを信じるって事自体が分からない

私にとってサンタは信じる要素が無く、人生で一度も信じた瞬間がなかった。
ここで言うサンタとは、無差別に理由も無く子供にプレゼントを届けると言われている架空の人物だ。
サンタの話を聞いた時、創作のキャラクターのひとつにしか思えなく、例えば「こち亀の両津勘吉」と同列に把握していた。
サンタがプレゼントを届ける事は、かめはめ波が撃てると信じる事と私の中ではなんら差は無かった。
親たちも私と同じで真っ正直で、いないものを信じ込ませようと騙してくる事も無かった。
なので私は「サンタを信じる」と言う話題には強い違和感を感じる。


そもそも「サンタを信じる」ってどういう事なんだろう?と思う。
「サンタを信じる」状態が良く分からないので、そんな人がやらかしてしまう過ちがなかなか想像する事も出来ない。
そのぐらい、私の中ではありえない話なのだ。
もし誰かが「サンタは絶対に裏切らない!」と叫んでいたら、それを見た私は「あれがサンタを信じている状態なのか!」と思うと思う、分からんけど。
それは私にはサイコロを2度振って2回連続で1が出たら「次が1の事はない!」と信じるぐらいおかしな事に見える。
「そのサイコロには出目の結果を蓄積判断機能が付いているの?」と。
私がパチンカーと話が合わないのはまさにこういった点が原因だろうと思う。
「日頃の行い」だとか、「雨男」だとか、非科学を嫌っているのではなく、「そのノリ」に私はノレないのだ。
サンタを疑いなく信じる子供を見る事があればきっと私はここに限って他では用いない「一事が万事論法」を持ち出して、「この子はあらゆる場面において親によって騙されているに違いない」と考えるだろう。
「早く自分の人生を取り戻せよ」と。

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