私にとってサンタは信じる要素が無く、人生で一度も信じた瞬間がなかった。
ここで言うサンタとは、無差別に理由も無く子供にプレゼントを届けると言われている架空の人物だ。
サンタの話を聞いた時、創作のキャラクターのひとつにしか思えなく、例えば「こち亀の両津勘吉」と同列に把握していた。
サンタがプレゼントを届ける事は、かめはめ波が撃てると信じる事と私の中ではなんら差は無かった。
親たちも私と同じで真っ正直で、いないものを信じ込ませようと騙してくる事も無かった。
なので私は「サンタを信じる」と言う話題には強い違和感を感じる。
月: 2019年12月
「1999 Super Deluxe Edition(5CD+DVD)」を買った

今日は日中にまとまった移動時間があり、このVAULT1,2を聴いていた。
そして「どうしてこの曲を発表しなかったのだろう」と言う曲ばかりである事に気が付いた。
「Purple Rain DELUXE」の未発表音源の多くは「エロはもう必要量を満たしていたから余ったんだな」と考える事が出来たけど、この「1999」に関してはそうではなかった。
具体的表現が大事と考えてた
最近、考えている事がある。それは「漠然とした指示は無駄に相手を混乱させ、具体的指示はその無駄を省く」みたいな感じだ。最近良く聞く脳科学的な「脳は否定形を認識出来ない」にも通じるものがあるのかも知れない。
先ずはこの例から書いてみる。
「狙いを定め大砲を打ちました。大砲は標的から大きく右に外れ落ちました。次、どうする?」
と質問されたらなんと答えられるだろうか?
質問は「これを考えてみよ」と言う指示だ。
残念ながらこの答えは制限が無い事ため無限に考えられる。
「そのままもう一回撃つ」では「なんでだよ?」と言われるだろうが、「急いで次を打つ準備をする」は否定しにくい。「落下地点を正確に計測する」「要員を交代する」「別の大砲から撃つ」「別の兵器を使う」「逃げる」「打ち合わせをする」「休憩する」「SNSに投稿する」「ビートに抱かれる」・・・。質問者はヤキモキするだろう。私なんかは「そもそも距離は合ってたの?」と言いたくなるし、「大砲みたいな軍備は全くの無駄であり、そんなものが世界の貧困をウンヌン」とも言いたくなる。