いきなり「味覚にはチャネルがあると思う」と言っても意味不明だと思う。
先ずはチャネルの概念から説明しないといけない。
TVやラジオで言うところの「チャネル」と同じと考えていい。
情報が特定の周波数を持っていて、その特定の周波数を認識して初めて受信出来る仕組み。
味覚については情報が「味」に置き換わる。
辛いを期待して、辛い物を食べると「辛いなあ」と感じる事が出来る。
甘い、苦いと言ったザックリではなく、食物そのもの、カボチャ、キュウリ、リンゴなどなど食材ごとでも、それは同じ仕組み。
そしてそこが食い違っていると、「違う!」と感じるのではなくて、不思議な事に味を感じない事になる。
「これ味がしないんだけど?」
「え!?味するはずだよ、これが分からないの!?味覚に問題あるのでは!?」
これがなんと有機栽培農家と慣行農法農家で起こる。
有機「うちの野菜は味が濃いよ!野菜本来の味が楽しめるよ。」
慣行「有機栽培の野菜は食べても味がしないよなぁ。」
これが本当に起こりうるのは、味のチャネルが互いに違うようにセットされているから。
私が思うに残留農薬の味を野菜のものと誤認してチャネルしている。
なので残留農薬の味がないと「味がしない」と感じる。
今の世の中、化学調味料は非常に発達し、あらゆる食品にそれらしい味を付けている。
しかし、それは思い込みによる作りものでしかなく、本物とは別物と言える。
市販の駄菓子のリンゴ味やグレープ味、オレンジ味はその本物を用いて味付けされているだろうか?
ここで恐ろしいのは、それらに慣れてしまうと作り物の偽物の味がチャネルされてしまう事。
今や駄菓子だけでなく、醤油や味噌やとんこつだって偽物はありうる。
大半以上の人がそういった偽物を食べて「これこれ!この味!」と思ってしまうようになってしまっている。
本来の味を持たず偽物の味を付けられた食べ物を違和感無しに食べられるように調教されてしまっている。
本来、味覚は体に必要な栄養素を見つけ出すためのセンサーだ。
必要な栄養素を食べた時に「美味い!」と喜びと結びついて反応する、とても気の利いた高性能センサーだ。
これは大前提として、栄養素と味が一致していないといけない。
化学調味料によって、栄養素とは全く別個に味が付けられていると残念ながら誤認を起こす。
「この味だ!もっと食べろ!」とセンサーは反応しても、必要な栄養素が摂取されていなければ、「もっと食べろ」信号を出し続ける。
これは明らかに過食の原因になる。
「やめられない止まらない」はこれに基づいている。
私は現代日本人はこれが当たり前の状態になっていると考えている。
本物の味を持った本物の食べ物は少量でも十分な栄養摂取が出来、満足感が得られる。
そして健康を得る事が出来る。
本来の味覚を得るためには、本物の食べ物を食べなくてはならない。
その為の有機栽培、無化学栽培野菜であり、伝統製法調味料である。
それらを用いて、人類の知恵と言える伝統的に正しい自然な調理法で作られた料理を食べる事は意味が深い。
味覚を取り戻し、そして健康を取り戻す。
そうすると自信も取り戻す。
つまり、人生を自分の物として取り戻す事が出来る。
極論、味覚さえ取り戻してしまえば、あとは「美味い物を食うだけ」で自動的に健康を取り戻すだろう。
味覚はそもそもその役割であるのだから。
そのためには本物の物だけを食べる生活を数ヵ月続ける必要があるとか?
でも、その価値は間違いないよね。