マスクデミックが終わって

私が若い頃には地球は誕生してから25億年だとのことだったが、最近聞くと45億年だとか。
知らない間に私は20億歳の年を取ったのだと思う。
 某有名数学者のジョーク。

3年ほど「マスク着けている人がまともで、そうでない人はまともではない」時間を過ごした気がする。
日常生活で顔が半分ほど隠せる以外、マスクになんの価値があるのか私はまったく理解していない。
私から見てマスクは単なる覆面でしかない。
マスクを指して「何か特別な効用が得られる」と言う話には「いつから世界はそうなったのか?」と思っていた。
以前マスクを付けて顔を隠す人物は不審者であったが、いつの間にか「未来のために行動出来るまともな人」と言うことになっていた。
マスクの隙間もウイルスの大きさも感染に必要な濃度も何も考慮せずただただ闇雲にマスクの感染防止効果を信じる事はまともな事であり、知性を持ち意見を持ち行動に移す人物は「まともからほど遠い」と言われた。
これを機会にマスクにまつわる私の身の回りで起きた事を書き記しておこうと思う。

マスクはまともであり、まともはマスクである。言うと思った?まさか!

マスクデミックと言う言葉は世のメディアが使った意味では「マスクの供給不足に起因する混乱」なんだそうだが、私の言うマスクデミックは「本来不要であるマスクを必要と思い込まされたことによるあらゆるレベルでの害」だ。
ここまで書いてきて急激にモチベーションが下がってきたが、頑張ろうと思う。
Twitterを覗き込むと今でも「今後もマスクをする」だとか「マスク任意は間違いだ」とか意味の分からない貴重な意見を見る事が出来る。
まともな世界に生きていては決して観る事が出来ないであろう。
多様性の観点からとてもありがたいと言って過言ではない。
おそらくはどこの宗教も「そのように言え」とは指示していないと私は思っている。
彼らの脳はマジで考えてそう結論付けるため本人も不安になり、払拭するためにTwitterに試し書きしているのであろう。
「マスクに関して私の考えは間違ってないですよね?」
「何がどうしてそうなるのかさっぱり分かりません」
まじめに答える奇特な人もいるものなのだなぁとエライなぁと思う。

マスクデミックが始まった頃、私は花粉症にもインフルエンザにもマスクは何も効果が無いと既に知っていたので当たり前にマスクを付けないでいた。
やはり何度か言われた「マスクを付けよ」と。
ここでぶつかり合うのも危険だとして、私は「はいはいー」とマスクを付けて見せ、離れればすぐに外すような事を繰り返していた。
するとついに身の回りの人は私はそのような事を言ってくることは無くなった。
「こいつはきっと、空襲警報が鳴っても部屋の照明を消さず暗幕も引かないようなヤツだ!こいつのために周りの人間は爆撃を受け全滅するかも知れない!」とか思われていたかも知れない。
B29を竹ヤリで落とす勢いを感じた。
「日本国土上空に侵入する爆撃機の操縦席を目掛け竹ヤリで突く事により、操縦士に間違いなく精神的ダメージを与える事が出来、遂には爆撃機を撃墜する事が可能だ」だとかなんだとか?
「今度から気に入らない政治家がTVに映ったら竹ヤリで突くわ」みたいなそんな感じだ。

そんな私も仕事等でどうしようも無い場面ではマスクを付けざるを得なかった。
ジムでも悲しいかなマスクを付けざるを得なかった。
ジム自体は「マスク任意」のスタンスだったが、事実上全員がジム内ではマスクを外さなかった。
窒息する程の運動をした時でさえ、マスクをズラしたり浮かせたりして大きく呼吸する程度だった。
一方、仕事上の付き合いで行かされた会合ではマスクは好都合であるとさえ思えた。
「この会合での私の行動が何か不適切であったとしても、私を何者と判別出来る人間はいないであろう」と、この時はマスクによりリラックスする事が出来た。
そう考えると、未だにマスクを手放せない人がいるのはこの心境なのかも知れないと行き着いた。
マスクは覆面でしか機能せず、覆面がより快適に過ごす方法になっている社会がある。
そして日本では過半数を超える大多数側がそうであったと火を見るより明らかだ。
いったいこの日本と言う国はどうなってしまっているんだと思う。
不特定人物になりたいと思う気持ちがこれほどまでに蔓延しているとは私も予測出来ていなかった。

アメリカで行われた野球の国際試合でホームランボールを拾った日本人女性は、球場で意味不明にマスクをしていた。
おそらくは不特定人物になるためであったのだろう。
しかし、ホームランボールを拾った事からインタビューを受ける事になった時、氏名などを答えた。
え?マスクして不特定人物になろうとしていたのに?
もうこの件についてはまるで意味が分からなかった。
同じ球場で観戦していた日本人以外でマスクをしていた人などいるのだろうか?

先日、マスク任意直前に「マスクをお願い」される事が3連続であった。
1つ目は健康診断だった。
この時は想定していたので、あーなのか?こーなのか?抗議をした。
決定的だったのは「何の意味も無くマスクの着用を求めるのか?」と聞いたときだった。
「マスクの着用をお願いしています」と言うので、仕方なく「じゃぁなんの意味も無く付けるわ」とマスクを付けた。
先の私の質問は助け舟なのだ。
私はそこまで頑張って抵抗もしない。
相手も半泣きの表情だったし。
そして鼻を出していると、また別の職員から言われた。
なんなんだこの施設は、このノリには付いていけないなと思った。

2つ目は飲食店だった。
そんな事を言われると思っていなかったので「え!本当に持っていない」と答えたら「55円で販売しています」と言われた。
余談だが店員の活舌が悪く「50万円」に聞こえ、ギョッとしたりもした。
団体行動をしていたため、どうしようもなくその時いたノーマスクメンバーの人数分のマスクを購入する事になったのだが、なんてヒドイ商売なのだろうかと思った。
「そっちがマスクを付けて欲しいとお願いするのであれば、マスクは無料配布せよ」と言えたのではないだろうか?

最後は公共施設だった。
ほぼ屋外の施設のはずなのに「マスクをお願いしている」との事で、またも私はそんな事を言われると思っていなく驚いてしまった。
思えば、私はそういった場面で抗議や議論を行うようなタイプの人間で無く、完全に「想定していない」タイプだ。
マスクの事などそんな真剣に考えることそのものが私にとって無価値なのだ。
「マスクを持っていますか?」「えっ?なにそれ?そんな事を言うの?」と言う顔をしつつ、この時はバッグにマスクがあったので取り出して「あるよ」とだけ答えて通り過ぎようとした。
「マスクを付けて下さい」「え?ほぼ外なのに?」私よりも相手の方が困った顔をしていたと思う。
先を急ぎたかったので、着けて見せた。
少しの間着けていたが、気持ち悪いので途中で外した。
しかし、施設の中では追いかけて来て着用を求められる事は無かった。
あれは、なんだったのだろう?と思う。

2023年3月13日月曜日から、政府がマスクは個人の判断にすると言う。
なんだそれ?それは改めて言う必要のある言葉なのだろうか?
私は当初、義務教育における衣替えのように日本国民は一斉にマスクを外すのではないか?と予測していたが、まるでそんな事は無かった。
これまでもいい加減にしか付けていなかった人が外しているだけで、まともに四六時中マスクを付けていた人はまだマスクを付けていた。
顔からもう剥がれないのかも知れない。
しかし、立場のある人の中に率先して外す人も現れているのが私にも見て取れた。
と言う事は、私が予測したような急激な変化ではなく、じわじわとマスクを外す人が出てくるのだろうなと今は予測している。
これまではあまりにも高すぎるマスク着用率だったのだから、それがまた増える事は無く、減る一方である事を喜びたい。
ただこのことで学びを得ているかどうか?は、また見えてくるだろうか。
少しだけ楽しみだけど、私がマスクデミックについて「放射能の時と同じだ」と言っても誰も理解しなかったように、そんなようなものなのかも知れない。

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