英語教育について思った事

義務教育で、私たちの時代なら中学校の3年間で結構な量の英語を学んだ。
今は、それが小学校でも英語の時間を取るようになっているらしい。
そこで私の住んでいる石川県の教育委員は、
方針として「これまで中学校でやってた内容を小学校でやるようにしよう」と打ち出しているらしく、大変憤慨だ。

この態度は全く、学習という事が単純にそれに費やした時間の問題だと考える結果だろう。「ならばお前は41歳時点で総理大臣になれ」と私は言いたい。多分、相手は「それは無理だ。そのための準備がないから。」などと反論すると思う。ならば、私の言いたい事は分かるんでないかと?つまり、同じ時間を費やすにしても、その時間の中で要求される物が違えば達成する物が違うし、違った地点に辿り着くハズだ。
私が言いたいのは、中学校の3年間で、英語が習熟出来ないのであれば、その制限時間を増やし小学校からはじめようと言う考えは間違いだと言うのだ。で、どうしたらいいかと言えば、上でさっきは”総理大臣”に例えたが”英語が使える人”になる事が目標なのであればそのための準備をしなければならないのは、教育委員会の人間にも分かると思う。そうすれば、やるべき事が見えるハズだ。
今の方針では、より根の深い英語コンプレックス日本人を作り出そうとしているとしか、私には思えない。


今、確実に言える事はこれまでの英語教育は大量の英語コンプレックス日本人を生産する上で成功だった。しかし、現実問題そんな人間はダメ人間で、NHKもその人達向けのTVばっかりやってただでさえ別の事で顰蹙を買っているのに、まださらに顰蹙を買い足してる。これに乗っかり、教育面でもその需要を確保するどころか、助長しようとこの政策である。つまり、これまでの教育の方法論を覆す、気はさらさらないと言うどころか、よりそれを悪い方向に進めたいと言っているのだ。しかし今、多くの場面で本当に欲しい人材は”英語の使える人間”で、現状それは個人の努力をもってでしか成し得ない物になっている。そう考えると、民間の英会話教室は「国賊的施設」だと思うのだが、摘発の対象にならないのは何故だろう?日本人は温厚だからなのか「自分が国から習った英語が全然使えない」って状況を知っても精神的異常(火病など)を来たさない。これはこのままでいいのだろうか?国政としても左寄りと思えて仕方ない。が、だからと言って国際人を育てていない。つまり、愚民化政策なのか?
「オレの英語通じないじゃん!英語のネイティブと言われる連中は、日本で教えてる英語を話せ!ぎゃー!」(英語圏の国の大使館に石を投げながら)
こんなニュースはこれまで一度も見た事が無かったが、遠くない将来にTVで見る事が出来るんでないだろうか?
「英語圏の国の英語のカリキュラムを、日本に合わせて修正しろ!」
と主張する日本人を、私は想像する事が出来ないんだけど、国の求めている人材はまさにこれなんでないかと思う。または、Japanese英語って形で市民権を得るのかな?そこまでやる気もなさそうなんだけど。

「英語教育について思った事」への2件のフィードバック

  1. 学校の英語は死んでいるでしょ
    日本人でも、生まれたてのときに日本語っぽいもの(赤ちゃん言葉)しか喋れないのを、学んできた言語とまったく別のものを学ぶ時に行き成り文法やら熟語から習わせる
    ま、単語の勉強して、普通に海外の文化(英語の場合は英語圏の文化)と触れるのが上達への早道&確実な方法ではないだろうか?

  2. >R
    丁度、私が中2の頃、「英語教育の強化のために、ネイティブスピーカーをゲストに迎えよう」みたいな動きがあった。
    と言うわけである時、1週間ほどネイティブスピーカーのおじさんが私のいた学校に訪れたのだけど、その人は本当に日本語が全くダメな人だった。すると、どうなったかと言うと、英語の先生が「英語が話せない」と言う事実を生徒はまざまざと目の当たりにし、学内で1人だけ英語が話せる英語の先生がいて、その先生が常にネイティブのおじさんについて回らなくてならない状況になった。
    →生徒:「私たちは英語が話せない人に英語を習ってるんだぁ。。。唖然」
    しかも、やったのは挨拶とか、単語遊びゲーム(hangman)みたいなのをわずかな時間だけ。ちなみに、私はhangmanの面白さはいまだに分からないんだけど。
    なんか、社会の先生は「政治なら元政治家、経済なら資本家、歴史なら2000年生きた人でないとダメ」と言うワケではないけど、英語は「話せないとダメ」だろう。私は大学で数学を学んで大学院にも行ったので、「数学の先生は"数学語を理解して数学語が話せないとダメ"」とか言いそうになるけど、とりあえずそれは極論かなと。あまり知られてないけど"数学"を語るには"数学語"って言語が必要で、それは身に付けると過去や未来や他の知的生命体と円滑に数学的事実について議論出来るようになる大変強力な言語だ。間違い無い。普通必要無い。

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