マスクにおけるオカシナ状況


手持ちの使い捨てマスクが底を尽きかかってきて、マスクなどあまり気にしていなかった私だが、マスクが手に入らない現実に直面した。
外出先で「あっ、マスク忘れた」となった時にどこに立ち寄ってもマスクが売られていない。
「仕方が無い」と思い、マスクをせずにいると周囲の人からの視線を感じた。
「この人マスクしていない」「コロナウイルスの感染力知らないの!?」「非常識な危険人物だ」
こんな時、自分のテレパシー能力が憎くなる。
読心術なんて身に付けなければ良かった。
その一方で、空気を読む「読気術」はからっきしダメダメなんだけどね。
そんな冗談はともかく、マスクの購入は諦めるとしても、なんらかの形でマスクは必要だとさすがの私も感じてしまった。
アベノマスクはまだ届かないし、届いてもシャクに障ってそんなものを着けていられるか分からない。
そこで、実家の母に「手作りマスクを作って貰えないか?」と頼み込み、先日画像のものを受け取った。
母はマスク作りに疲れ切っていて、非常に申し訳なかった。
ネットで型紙や作り方が出回っているが、そのまま作ってもダメなのだそうだ。
それで、微調整や工夫が必要で何枚も作る事になっているのだとか。
画像のヒモが付いていないマスクも、着ける人が自分で調節するためにまだ付けられていない。


ところでマスクと言うものは、特に大量に菌が空気中に舞っているような環境で無いとほぼ効果があるとは言えないとか。
そして、キメの細かさはある程度あれば、それ以上はほぼ関係無いのだとも。
マスクに関する科学的な情報がネットで散見されるが、その一方で世に流布している内容は全く非科学的な政治的な内容ばかりだ。
その結果として起こるコロナハラスメントや対策やってますよパフォーマンスは全く馬鹿々々しい。
地方によっては「現代の魔女狩り」と言って過言でない状況もあるようだ。
このCrazyな私であっても「中身のないマスク行為」を無視して生活する事が出来ず、仕方が無くマスクを手にしている。
アベノマスクの着用は安倍政権支援だけでなく絶対服従や屈服アピールに感じるので、私にはとてもじゃないが出来ない。
その一方で手作りマスクは直感的で良いように感じた。
先ず、政治的=非科学的に効果が認められたもので無い。
上級国民機関による製品の品質担保みたいな、天下りダメ人間のメシのタネになっていない事が確かだ。
そして、科学的には通常のマスクがそれほど意味が無いのと変わらないように手作りマスクも同じく効果は無いので性能面で決して劣っていない。
洗って繰り返し使えるものであれば、エコだし、愛着も湧く。
個性的な柄物のマスクも作れるし、そこで何かをアピールする事も出来るので、ファッショナブルでかつアーティスティックと言える。
そしてなにより、別に効果も無いのに手作りマスクを着けていれば危険人物とは見られないのが最大のメリットだ。
ただ単に柄物であるだけで「それいいですね」と言われるし、実際私も言う。いや本当に。
手作りマスクはそんな意味で私には、体制に対する批判に感じる。
そうするとなんかすごくいいものに思えてくる。
着けてて疲れるとかで無ければ、人前で着けて歩きたくなる。
いや、私自身は本当はこんな状況でなければ、マスク無しでいたいのだけどね。
以前からインフルエンザでもなんでも、マスク無しで過ごしていたし。
マスクが何かを解決する環境には自分はいないと考えている。
しかし、今の状況は手作りマスクが私の気持ちを和らげてくれる。
それなら着けようかと思う気持ちにさせてくれる。
状況が変わればすぐに止めるけどね。

「マスクにおけるオカシナ状況」への1件のフィードバック

  1. この母に作って貰ったマスクは、ものによって鼻に当たる部分にワイヤーが入ってた。
    恐るべし作り込みだ。

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