#BlackLivesMatter は最終結論だろうか

#BlackLivesMatter は出発地点のひとつではないのだろうか?
なぜこれを主張しなくてはならなくなっているのだろうか。
そこには「無理解」があるにしても、 #BlackLivesMatter がそれを解決するだろうか。
私は思う「極端に突発的な刺激に弱い人種がいる」のではないだろうか。
そんな人が銃や特別な立場や役割を持ってしまっているのではないだろうか。
銃はどこかしら彼らを安心させるのかも知れない。
突発的な刺激に弱い事は彼ら自身それを知っている。
彼らは刺激に対する訓練をする文化を持っている。
ジョークが好きだし、プレゼントやサプライズを好んで行っている。
それは彼らの生み出した自身のためのトレーニング文化なのだろう。
トレーニングの成果として「COOL」な振る舞いを評価している。
また一方で「HOT」な姿勢も評価されている。
行き過ぎて形式になってしまっているところがあるが、銃もそこに取り込まれていないだろうか。
であるならば、私はひとつのアイデアを考える。
「銃は全くCOOLではないしHOTでもない、つまりダサい。」
この認識はどうだろうか。
英語で言うと「Guns Ain’t COOL or HOT.」で合っているかな。
作文してみたが「Guns are neither HOT nor COOL.」では日本人の作文感ないかな?
「銃はダサい」これだけで効き目があれば物凄く安いものだと思う。

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