「草食系男子・肉食系女子」って語に思うこと

「草食系男子・肉食系女子」って語に、ありがたみを感じない。
語義を問いただす事に疲れそう。マスメディアが月に100ぐらい新しい言葉を生み出してて、その中の大ヒットではあるんだとは思う。しかし、思考の補助線として機能していない。
本来なら説明を加えないと伝わらないような事が、この一言でスパッと伝わるような事が起こらないからだ。
それどころか「それってつまりどういう意味なん?あれは違うの?これは違うの?」みたいな議論にしかならず、今のところその答えに決まったものも無い。
なので「草食系男子・肉食系女子」と言う語を使う事は、語感によってのみあーだこーだと言うに終始する事になる。
そう言ったゲームにノレない私には非常にイライラさせられる言葉だ。
「金輪際、私は草食系と肉食系について掘り下げないぞ!」と言う意気込みでこの記事を書いてみる。


私が草食系男子の中身を聞いた時に感じたのは
「人間性豊かで知性的で自分を持っている人。頭でっかちでなく、行動も伴っていて、既成の価値観に囚われず判断が出来る人。」
という印象で、それを指して「情けない」「頼りない」「ノリが悪い」「面白味が無い」と言われるのはまったくのミスディレクションに感じた。
優秀な人物に逆のレッテルを貼る「草食系男子」と言う言葉は、誤解を意図している。
ボランティアを好む例であっても、経済観念が優れていて、お金を経由せず自分のメリットを最大限得る事が出来る事にボランティアを選んでいると私は考える。
恐らく肉食視点からは「草食系の人は流行っているからボランティアを選んでいる」と暗黙の了解が行われている。
草食系の価値観からは「結婚」などの社会的地位変化も非常にスムーズに行われる。それは草食系は総合的な判断力を持っているからで、納得のためのデータが揃えば草食系にとって変化の決断は造作無い。
どっかで聞いたような「相手がいない」「タイミングが無い」「金が無い」「自由が無くなる」などと言った言い訳は、草食系にとってはキーワードに過ぎず「肉食の言葉ゲームにノッてみせただけ」か、表現を相手に合わせているのだろう。理想の草食系は常に合理的な判断の結果を体現している。結婚でも共同生活でも移住でも転職でもなんでも草食系は間違い無く上手くそれを行う事が出来ると私は考える。
データを分析し活用出来、かつ変化を恐れない草食系は真に生を満喫するので、誰からも憧れとして映るだろう。
岡田斗司夫さんの著作『あなたを天才にするスマートノート』の「天才」の定義に、私の草食系の印象は一致する。卓越した論理力と発想力と表現力を併せ持つ人、それが天才の定義で、そしてそれを私は草食系の最終到達点に思う。
肉食系の語意を聞いたとき私は「つまりB層ね」と理解した。説明も要らないだろう。そりゃ当然、草食系と相容れない。
肉食系は草食系と分かり合うつもりもない。草食系は肉食系の言わんとするところは理解出来る。肉食系は草食系の価値判断を見て、肉食で理解しようとする。先のボランティアの例がそれだ。「楽しめる事を選んだ結果が”ボランティア”って、情けなくないの!?」そんな言葉が聞こえてきそう。草食系が「金銭を経由せずに、稀有な体験を得ているんだよ。これは一石二鳥だよ。」とか言っても、肉食系には理解出来ないだろう。「イッセキニチョーって何!?難しい事言われてもワカラン!」
「これほどまでにメディアに踊らされまくってるのに、それなのにまだ踊りたいのね」
例えば同じ職場でも、草食系から肉食系を見ると「肉食ちゃんの価値観わからんわー、逆に分かるとも言えるけど」で、肉食系から草食系を見ると「草食君はなんか楽しそうだけど、人として間違っている!」ではないだろうか?あ、この例えは職場関係無いわ。いいや。
「肉食系女子から逃避する草食系男子」と言う言葉ゲームに私はビックリ!?これは当然。
”逃げている”と言うと印象悪いけど、草食系は肉食系を無難に避けるだろう。
草食系と肉食系では共同生活は出来ても、それは自由意志に基づく協力生活では無い。
一緒に暮らしても自由意志に基づけば例えば、草食君が仕事で稼いで来たわずかなお金で肉食ちゃんがまずデカイTVを買い、それからアイドルのおっかけやグッズに使ってしまうような事が起きる。逆に草食君の立て続けに繰り出す「空気パンツを試してみたい」のようなアイデア発言に、肉食ちゃんはビックリ仰天しっぱなしだろう。
本当にそんなバランスで一緒に暮らしているのであれば、それは共依存と言って過言でない。
そんな草食系がいたらは確かにちょっと情けない気もする。でも既成の価値観に囚われていない上での判断なので、なにか特別なメリットを得ているのかも知れないので、そんな草食系もいなくもないと思う。作家とか哲学者とかがそうかも知らん。とにかく私は草食系に寛大。
話を戻して、草食君は肉食ちゃんの「寝室にTV買ったから」みたいな言葉を聞きたくない。だから先に手を打ち、肉食ちゃんの理解を得るようにしておいて、もし何かしでかしたとしても一緒に対策を考えたり許容したりすれば、共同生活は可能だろう。「寝室のTV置くの、一定期間試してみてあんまり使い勝手良くなかったら、親にあげよう」とか。そう心掛ければ草食君と肉食ちゃんは快適に過ごせるだろう。それに、草食君も常に完璧な判断が出来ているとは限らないので、失敗をやらかした時にも必要以上に落ち込まなくて済むし、責められずにも済む。「草食君も”肩に装着する傘”を買っちゃうような失敗もするんだね!」こんな関係は肉食ちゃんも楽しく楽に軽快に暮らせるだろう。時々モヤモヤしたら、草食君に適度にケンカをふっかけたりしてもいいかも?そうして「上手くいっている夫婦の一種」にはなれるだろう。草食君がテレビよりも肉食ちゃんに影響を与えられればね!
なんだか私が書いていると、草食系はいろいろいるけど肉食系は一種類しかいないみたいな感じになるね!
とは言え、草食系と言えども草食に魂売ったと言えるほどあらゆる面で100%の草食系でも無いと思うし、それは肉食系も同じだと思う。ある面では草食的になれるのに、ある面では肉食系のまま。それが普通の人なんじゃないかな。雑食系だ。ははは
ところで実際、肉食の動物が草食動物の獲物を捕らえて食べる部分は、植物の詰まった内臓では無かったっけ?
でも、これは人間の肉食系草食系にはあてはまらないね。草食系の財産はメンタリティだから、それは物理的に剥ぎ取る事は出来ないからね!

「「草食系男子・肉食系女子」って語に思うこと」への3件のフィードバック

  1. 白ワニは、まあ確かに肉食系だけどさ。
    なんとも凹む考察でございます。
    インテリジェンスが低能に食いつぶされるみたいな表現のくだりはなんとかなりませんかね。
    肉食系草食系という言葉が意外ともてはやされたのは
    多面的なイメージを持つ故に、使う人、受取る人によって
    良いイメージ・悪いイメージどちらも使えるからでないかと思ってます。
    ちょっとこの考察では草食上位肉食最低みたいな一面的なイメージを強く感じます。多分、ロボ平氏の言いたいことはそんなことではないんだと思いますが、それでもちょっと強烈で、そこにばかり意識がいっちゃうのでなんとかなりませんかね。
    私としては、肉食系女子って自分の好みをはっきり行動に移すアクティブな元気女子って感じと思ってました。草食系男子というものも、昔なら女々しいという一言でばっさりと議論もされずに切り捨てられていたものに肯定的な立ち位置が与えられたんだと思ってました。
    B層で肉食系の爬虫類だから凹むのは当然なのかもしれん。

  2. >白ワニ
    コメントありがとう。
    でも、そう書いたつもりはなくて、
    ・草食系と肉食系のカップルも上手くすればやっていける
    ・草食系も無条件に肉食系を避けているワケじゃない
    ・一概に草食/肉食と割り切れない
    みたいな事を言いたかったのと、
    初出から「草食男子」って言葉は、肉食視点からだけ語られているようで、草食側からのコメントを出したかったんです。
    実際その言葉が世に出た記事なども見たんだけど、あまりに臨場感が薄かったのです。
    なので、なおさらマスコミがこぞって取り上げたのかも?

  3. あ、平成男子図鑑は、それまでの硬派と軟派以外のタイプの35歳以下の男についてレポートした記事のようでした。
    ところが「草食男子」はどこからか”恋愛に労力かけない、流行に乗らない、物を買わない、経済悪化の元凶”みたいな言われ方になったみたいでした。

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