犬ネタの大量引用

ミューラー
私は強度の犬好きです。で、犬ネタをここに書こうと思ったけど、以前に書いたものを紹介する事にしよっと。手抜きですいません。
これは99年03月16日に96年に他界した愛犬ミューラーを思って書いた文章。HPで公開してたので、読んだ覚えのある人もいるかも。


* * * * * * * * * * * * * * * 引用はじめ * * * * * * * * * * * * * * *
 この季節になると思い出すのは、実家で飼っていた愛犬ミューラーの事である。ミューラーは、3年前に死んでしまった。その時、ミューラーは10才か11 才だったので、犬としては長生きな方と言えるかも知れない。死因は究明してないのでよく分からないが、家族の間では「寿命だった」って事になっている。私は岡山に居たためミューラーの臨終の場面に居合わせてないのだが、それはとてもあっけない物だったらしい。そして、死に顔は安らかだったらしい。母に電話で「ミューラーが死んだ」と知らされた後、「家族が仕組んだドッキリだったらいいな」と散々思ったりした。そのミューラーの思い出をこれから書いてみようと思う。WEB上でこれを公開するのは、なんだかちょっとおかしい気もするがとにかく書いてみようと思う。
 私が小学校4年だった年の6/18に、ミューラーは私の友人の家に2匹の小犬と一緒に産まれた。母犬ビッキーは耳が立ちシッポの巻いた短毛の純日本風な茶色の雑種犬で、とても聡明な犬だった。その時生まれた小犬3匹はみなメスで、クロのブチのある少し耳の垂れたクロと、巻き毛の真っ白なポッポと、母犬に似て耳が立ちシッポの巻いた短毛で全身真っ白のミューラーだった。ミューラーは最初シロと便宜的に名前が付けられていた、いわゆる見たまんまであった。私はこの愛らしい白い小犬に心を奪われ、即効で家族を説得し当日のうちに連れて帰った。シロと言う名はあまりに味気ないので、ミューラーと私が命名した。後で知ったのだがこれは男性名だった、まー音的に可愛らしいので悪くなかったろう。しかし、じーちゃんとばーちゃんは最初、ミューラーと発音出来なくて難儀していたなぁ。それも、2年も経てばなんとかなったが。
 ミューラーはメスでクリクリとした大きな目がとても可愛らしかった。ミューラーの整った顔だちは、狂犬病の予防接種の時の書類の外見的特徴の欄に、堂々 “美人”と記入したほどだ。それはともかく、子供を産まれたら家では世話が出来ないからと、ある程度大きくなり次第即避妊手術する事になった。すぐには気がつかなかったが、犬も年とともに性格が落ち着いてくるハヅなのにミューラーはずっと性格が小娘のままでハツラツとしていた。多分、この時の避妊手術が原因だろうと思われる。ミューラーは死ぬまで言わばネコ的性格で、とても魅力的だったのだ。そして、ミューラーは一家の中での地位は私の上で、他の家族全員の下と思っていたようだった。家族が家に帰ってくると、家の前の納屋につないであったミューラーは「おかえりなさい。」と言わんばかりに飛び出して来ていたが、私が帰ってきても「なんだお前か、食い物持ってるか?」と言わんばかりの態度だった。私はそんなミューラーの媚びない態度がたまらなく好きだったのだが、散歩の時だけ激しく私の名前をちゃん付けで呼ばれるので、ちょっと不満だったりもした。また後で書くが、ミューラーは日本語をとても喋りたかったようで、ミューラーの鳴き声にはすごく抑揚があった。
 最初、ミューラーの散歩は私の役目だった。朝と夕の2度で、それが毎日だった。多分、家の者がここを読むと、「あんたはサボってばっかりやった。」と言うと思うので、すごく書きにくいんだが中学校の2年ぐらいまでは朝ちゃんと散歩に行った気がする。夕はいつしかまちまちになり、適当にみんなが散歩してたように思う。特にじーちゃんやばーちゃんは畑や田んぼに連れて行って鎖を外すのでミューラーから好かれていたようだった。ところで、ミューラーはとにかく散歩中鎖を引っ張り、歩く事などほぼあり得なかった。歩くスピードを教えようともしていたが、こっちの体がもたない感じだった。で、その事をじーちゃんばーちゃんに話すと、「わしらの時、ミューラー歩くよ。」と言った。ミューラーはちゃんと相手を選んでいたのだった。私の時は「お前鎖外せ」と言う意味だったのだろうか?すごい引っ張りようで手が痛かったのだが。でしかも、私が散歩する時も、じーちゃんやばーちゃんのやけに長い散歩コースをミューラーが通ろうとするので、かなり鎖を引っ張って方向修正した記憶がある。ミューラーは自分の行きたい道を全然譲らない性格なのでこればっかりは非常に困った記憶があるが、ミューラーはいずれ散歩の相手毎に道筋を覚える事で妥協したような感じだった。でも、気分的に行きたいコースがあるときはやはり、相手を容赦無く引っ張るようだったが。ある日、なんだったかで親戚のおばちゃんにミューラーの散歩を頼んだ事があったのだが、その時ミューラーは相手を見て「こいつ新米だな。」と思ったのか、じーちゃんやばーちゃんの時の畑+田んぼコースの涼しい顔で連れ回したらしい。おばちゃん曰く、当然の顔で道を進むミューラーを止める術は全く無かったそうな。ミューラーにしてみれば、してやったりと言ったところだったろうか?とにかく、散歩に関しては強く自己主張をするミューラーだった。
 ちなみに、私が夕方からの散歩で好んだコースは海と防砂林を回るコースだった。私の家から海岸線までは、歩いて500mぐらいだろうか?結構近いのだ。で、海に行って適当に鎖を外すとミューラーは好き勝手走り回るので私としては楽だった。あまり私が海を眺めたりひとつの場所でブラブラしていると、ミューラーは退屈になるらしく、私のところに来て「早く行くぞ!」とどやされたりもした。ちなみに、この警告を無視しているとミューラーに先に家に帰られると言う事態になる。そして、ミューラーは嬉しい顔でメシを要求するので、誰も私が事故にあったのでは?とか心配することはなかった。と言うかミューラーの日本語がある程度通じるので、その辺は大丈夫なのだ。多分。それはともかく、私が意地悪に、ミューラーの苦手な波打ち際に行くと、ミューラーに切なそうにグチられたりもした。ミューラーは波が怖いようで、無理矢理近づけた時は、情けない声を上げて逃げ出して行った。また、防砂林でも意地悪をして、遊歩道が三叉路になったところで右の道を選んだフリをしミューラーが先行したら、左の道に行ったりして、ミューラーを余計に走り回らせたりもした。この時の、ミューラーにしてみればすごく不安になるらしく、すごい勢いで左に進んだ私を追いかけてくる。でも、私がそれに気が付くと、ミューラーとしては恥ずかしいのか何事もなかったかの様に私をまた追い越し走っていく。ちなみに、これを1回の散歩で何度も繰り返すと、ミューラーからかなり怒られる。また、私はこの三叉路でミューラーの隙を狙って、木に登った事があるが、その時ミューラーは右の道と左の道を行ったり来りし、一度は来た道をすごい勢いで戻って行ったがまた三叉路に戻って来、オロオロしたかと思えば今度は情けない声で鳴き始めてしまった。木の上に私がいると言うのはミューラーに取って完全に盲点だったようだった。で、私が「ミューラー!」と呼ぶと、あちこち見渡した後にやっと私の位置を付きとめ、ニカッと安堵の表情を見せた。その顔は、すぐに恥ずかしい顔に打ち消され、次に不満の顔に変わり、やっぱりグチられ怒られた。グチッぽい犬だったのだ、ミューラーは。私の母曰く、これは遺伝らしいが。
 ミューラーは散歩の後にメシにあり付くのだが、ミューラーのメシはドッグフードのような出来合いの物で無く、栄養満点の手作りだった。残り物の寄せ集めと言えば、そうとも言えるんだが。大体の場合、私の家のおかずと言えば魚類である。で、ミューラーにもその残りが回ってるくると言うわけで、魚のアラをご飯の上に乗せ、味噌汁等の汁をかけた物だった。多分、これは犬用のメニューじゃないと思うんだが、案外喜んで食べているようだった。喉に骨がとかそんな配慮は全くなされていなかったが、無事だったし。しかし、犬を飼っていると何故か人からドッグフードを貰う物で、晩年は家にもドッグフードがあったようだった。それでも、ご飯にドッグフードとおかずを乗せ、汁物をかけて与えていたようだった。ちなみに、ミューラーは「おかずが悪い!」と、食った後に大声で文句を言った。おかずがドッグフードのみだったりすると、100%近かったのではなかろうか?で、あまりうるさいと近所迷惑でもあるので、食卓の晩ご飯から少しおかずを持って行ったりした。でも、ミューラーはこれに味をしめて、毎日文句を言うことは無かったし、その基準のレベルが上がる事もなかった。それどころか年とともにレベルが下がったような気がするし。で、毎日栄養食を食べ続けたミューラーは、いつもハツラツとしてて、目もキラキラしていて、毛つやも良かった。かなりフィルターのかかった視点からの意見だが。
 さらに、溺愛している事を示す話題になるのだが、ミューラーは表情も感情もとても豊かで、日本語をかなり理解しミューラー自身も話したかったようだった。ある時、私は犬の笑顔と言うのを教えて貰った。それは、目を細め、口を横に開き、耳を横に倒した時だと言う。「なんだ、人間と似ているな」と思い、ミューラーを見ると確かにそんな表情をする事があった。しかし、これは案外どーいうきっかけでこの顔をしたと言うのがわかりにくく、どっちかと言えば困った顔や嫌な顔の方が分かり易かった。例えば、ある時かなりの急階段の最上段にミューラーが来た時、下を見下ろして困った顔をした。どうやら下に下りたいようなのだが、階段が怖いようだったのだ。きっとあの時マユゲがあれば八の時になっていたかと思う。で、私の方を見るので、抱きかかえて階段を下りるとその間「やったぜ、ラッキー」と言わんばかりの誇らしげな顔をしていた。これが、じーちゃんばーちゃんだと、「申し訳無い」って顔をしたのだろか?この「やったぜ、ラッキー」と言う顔は、夏場にミューラーを木陰につないだ時もしていたような気がする。また、散歩をしていた時に小学生から「あ、犬や犬や」と言われた時は、「犬やったらなんや?」と言わんばかりの冷たい表情をしたのも忘れられない。また、田んぼで作業していた時、ミューラが家の車と同じ型の車が脇の道路を通るのを発見し飛び出して行き、途中で関係無い車と気が付いた様子で戻って来た時は、いかにも恥ずかしそうな顔をしていたと母は言っていた。そして、私が岡山で大学に通うようになり、実家に居る事が減り、帰省していた時にたまたまミューラーに「明後日また岡山に戻るよ」と言うと「ふーん」と言う顔をし、その明後日が過ぎてもまだ私がブラブラとしていたら、「ありゃ?まだいたの?」と驚いて不思議そうな顔をした。またある時は、ミューラーが鼻水をズルズル垂らしてクシャミを連発していたので、「ミューラー風邪ひいたか?」と言うと大声で、「ちがう!」と吠えた。その直後に、「あ、しまった、こんな事したら日本語が分かってるってバレルな」って顔で分かってないフリをし必死にごまかそうとしてた。「日本語が分かっているとバレルと、アテにされる、嫌だ」と思ってるのだろうか?で、普段分からないフリをしているが、とっさの時にはつい返事をしてしまうのでは?と私は大変好意的に解釈した。母がある時、ミューラーに「遊んでくれー」と呼ばれた時に、「今遊んでやれんし、シッポ振らんでええ!」と言うと、ミューラーのシッポはピタッと止まったと言う。で、私は犬猫に関してあちこちで”実は日本語を分かってるけど分からないフリをしてる説”を解きまくっている。それほど、賛同も得られないが、まぁいいのだ、ミューラーが聡明過ぎたって事さ。多分。
 私はミューラーが好きで、「ミューラーは私の妹だよ」と良く言って聞かせていた。母もこれを面白がり、「そうや、ミューラーは私が生んだんや」とか合わせてくれていた。ミューラーはそれを聞いて笑っているようだったし、嬉しそうだった。ブラシで毛をといた時はもっと嬉しそうだったような気もするが。そして、私達家族はもし全員でミューラーに呼びかけたら「ミューラーは私のところに駆け寄ってくるに違いない」と全員がそれぞれ思っていた。実際これを試す事は無かったが、ミューラーには全員にそう思わせる魅力があったのだろう。ちなみに、私はあまりミューラーに駆け寄らせる自信は無かったが。また、私はミューラーに良く「芸なんてせんでいいよ」と言って聞かせていた。「自分のしたいようにすればいい」と。その言葉を守ってか、父が”お手”を要求した時はミューラーは挙動不審気味にも”お手”をしていたが、私の場合では手を舐められるか、不信の目で見つめられるのがオチだった。また、私の友人がミューラーに”お手”を仕込もうとしたときも、ミューラーの態度は「ああ、知ってるよ”お手”だろ、お前の手の上に私の手を置いてやるよ、何度もさせるなよ」と、どっちかと言えば人間に対し”お手”してあげてる態度だった。で、私はそんなミューラーを目に入れても痛くないように思っていた。でも、一度後悔した。せめて”おあずけ”は教えておけば良かったと。何故なら、ある日いつもの海へ散歩に行き鎖を外していると、ミューラーが近くで弁当を広げていたOL二人組みの方へ走って行って帰って来なかったからだ。OLはパニック気味だった。ミューラーは「メシくれー」と無邪気なんだが、OLにしてみたらたまった物でなかったろう。私はミューラーを抱え、OL二人に謝り、即効その場を去った。で、その後”おあずけ”を教えようとは思ったが、どうやらもう遅いらしくミューラーは覚えてくれなかった。「なんでだよぉ」と文句を言い、私を意地悪してる様にしか思ってくれなかったようだった。と、言うかシツケは身分が下の者からではダメだよな。ああ。また、その後私はミューラーに「ミューラーは私のお嫁さんだよ」とか言った、が「なに言ってんだ?」と言う顔をされ、笑われた。実際、他から私が選んで連れてきたのだから、お嫁さんの方が正しいと思ったのだが、ミューラーからすれば私はかまってあげている相手だったのだろうか?自分で書いておいて良くわからんが。
 ミューラーはいくつになっても、経産婦の落ち付きを身に付ける事無く、ピチピチとしてた。ミューラーはバーサンと言ってもいい年頃になったが、やはりまだそんな感じだった。しかし、散歩ではすぐに疲れ、不平不満を口にする事も少なくなり、食も細り始めた。まるまるとしていた体系はシャープになり、今時の若い女性風だと思っていたが、年を食って肉が落ちたようだった。ミューラーは真っ白の犬なのだが、それはアルビノと言って色素が欠損した一種の畸形なのだ。で、体も弱く生まれて来ていたのだった。そして、ほとんど以上の犬の死因となるらしい、循環器系の寄生虫フェラリアに勝てる体力も失われつつあった。フェラリアは実は薬で一発なのだが、それも一時的な物で、薬も連続に投与出来る物ではなかったし。晩年ミューラーが切なそうに小屋に閉じこもっている時は、多分具合が悪いのだろうと薬を飲ませていた。すると、次の日には涼しい顔でピンピンしていたのだが、そのペースが次第に早くなりつつあったらしい。そして、ある時ミューラーが小屋から出て来ない日が2,3日続いたらしい。その夕方、父はミューラーが咳き込むのを見つけ「今度のは普通で無い」と判断がしたが、なすすべなくミューラーはそのまま父の胸で息絶えたそうな。それが、96年の04月12日の金曜の夕方だったらしい。私は、岡山に居た。兄が言うには、確かにその数日ミューラーは元気が無く、メシも食わず、散歩も断り、切ない顔をしていたそうだ。で、兄にはその顔が「私ももっと日本語が話せたらいいのになぁ」と言う風に見えたらしい。で、本当は体の具合が悪いのも黙っていたのでは、と。私はミューラー自身、薬で延命されているのが不自然に感じていたのかも知れないと思う。そして、ミューラーは幸せなこの世での一生を終えたのだと信じている。
 ミューラーの亡骸は、焼却場で灰にして貰い先祖代々の墓に一緒に入れようかと言う案も出たが、御先祖様が嫌がるしミューラーも居心地が悪いハヅと言う考えにより、家の畑の片隅に父が責任持って埋めたらしい。でも、その正確な場所を私は教えて貰ってないんだな、私は掘り起こす危険があるとか、そこに一緒に埋まる危険があるとか言われて。私はそんな事はしないのに。ただ、私が死んだらミューラーの埋まってる場所に墓を建てるように遺言を書こうかなと思うぐらいなのに。しかし、私が死んだら美犬があの世で待ってるなんて思うと、死も全然怖くないね。で、私はミューラーが居る場所と同じ所に行ける様に気を付けなくてはならないと思っているよ。そうそう、ミューラーと相性の悪かったアイツも今はあの世にいるんだよな。あの世でミューラーと一緒に成れたら、真っ先に自慢しに行こうっと。
 にしても、ミューラーに関するエピソードはまだまだあるんだけど、書ききれなかったなぁ。車に乗せたときの様子とか、小さな子供の遊び相手になってあげてた時の事とか、心無い人に耳に洗濯挟みを付けられた時の事とか、犬が苦手な人を目の前にした時の事とか、大きな弱気な犬と海で遭遇した時の事とか、シャンプーした時の事とか、台風の時の事とか、エアガンを怖がる事とか、郵便屋さんを不審に感じている事とか、風邪をひいて熱を出した時の事とか、小学校について来ようとした事とか、キレイ好きな事とか、神経質な事とか、嫌いな食べ物の事とか、日本語が上手くて犬語が下手とか。それに、本当はミューラーの画像もアップしたかったのだけど、まともに写ってる写真が無いんだ。だから、適当に紀州犬って種類の犬を探して、それの中型犬版を想像してね。
* * * * * * * * * * * * * * * 引用おわり * * * * * * * * * * * * * * *

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