タンブンを受けたんだと思ったこと

タンブンとはタイ語で「功徳を積む」こと。
今日はこれはもしかしてタンブンなのか?と思う事があった。

仕事の終わり晩御飯も済ませた後、妻と満開の桜を見るドライブへ出かけた。
車の中からあちこちの桜を眺めて回った。
そんな中で1ヵ所車の止めれる公園に入り桜を見て帰ろうとした時、次々と同じ目的の車が来ていて私達の車はバックで大通りに出るのが最適な状況になっていた。

車を出そうとしたところ大通りはある程度の交通量があり、すぐには出れなかった。
信号か何かで通りの車が途切れるのを待とうと思っていた時、その様子を近くて見ていた東南アジア系の若い青年が道に出て私の車を誘導をしてくれた。
何も言わず私に向かって大きな手振りで「おいでおいで」とする様子は見間違えようが無かった。
せっかく私のために作ってくれたタイミングなので誘導に従い、素早く車を通りに出した。
青年に感謝の気持ちを伝えようと思ったが、とっさのこと過ぎてバイバイと手を振るぐらいしか出来なかった。
それでも「あなたのしてくれた事は分かりましたよ」と伝えられたので良かったと思った。
妻が言うには、妻の会釈に彼は答えて会釈したのだとか。
暗くて見えなかったが私と彼は互いに満面の笑みだったのではないかと思う。

私は去年にタイに行くことがあり、その時にいろいろタイと言う国について知った。
タイから帰ってきた後にタンブンと言う文化を知って「これを先に知ってからタイに行きたかった」と後悔した。
タイではこのタンブンが非常に浸透しており、いろいろな場面でそれを見かけると言うことだった。
そしてその記事を書いた人が言うには「見ず知らずの人の車を誘導するのは世界中でタイ人しか知らない」のような事が書かれていたのを覚えている。
もしかして、今日私の車を誘導した彼もタイ人でタンブンを行ったのだろうか?
いや、タイ人でなくてもこのようなことはあるのだろうか?
日本人なら「もしワケの分からない人の乗った車に指図などしようものなら、怒鳴られトラウマになる」と考えるまでもなく関わらないだろう。

今回のことは私には出来る最大限を行ったようにも思えるが、強く何かお返しをしたい気持ちになった。
私も相手が日本人でも勇気を出してこのような功徳を行おうかな、と。
日本では「おもてなし、おもいやり、自業自得」が見事に無思慮の方向に書き換えられてしまっているように思う。
「情けは人のためならず」も「放置しよう」に聞こえるが、本来はそんな意味を言った言葉ではない。
日本人をネガティブな思考にさせる要因はザックリ先に書いたような「怒鳴る人」の存在だと私は思っている。
それでも「功徳は行えばいい」と言う気持ちになる一件だった。

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