ミュージシャン平沢進のファンになった日

今となってははっきり分からないのだけど2021年12月8日(水)あたりだったと思う。
その以前にラジオで平沢進(一般的な愛称は師匠だけど、私は「師匠っていっぱいいるよね」とか思うので、なんとなく師と略す)の新譜「BEACON」やフジロック出演を伝えているのを聞き、その中で歌っている歌詞のテーマの中に「ディストピア」があるとの事だったので強烈に興味を持っていた。表現者が「ディストピア」を伝えていると言う事は?現実をそうだと捉えている事にまず間違いない。ならば、具体的にどうディストピアで、その解決方法はどう提案しているのか?正確に私は知りたく思った。
私が初めて聴いた師の楽曲となるものは分からない、ラジオで流れていたものが「パレード」だったのか「白虎野の娘」だったのか?しかし、そのずっと前に私は映画「パプリカ」を観ていた。その時、変わった音楽だなぁ映画「AKIRA」を目指したのかな?ぐらいにしか思っていなかった。

手っ取り早く音楽を探すにはYoutubeのような動画サービスが適している、実際たくさんの師の楽曲に触れる事が出来た。さらにニコニコ動画にもやたらたくさん見つかった。師の音楽に関する二次創作も物凄くたくさん見つかった。そうして聴いてみて、ありがたい事に歌詞も観れるのだが「なんだこれは?」としか言いようが無かった。歌詞が難解どころの話ではなかったのだ。その中で「崇めよ我はTVなり」「Big Brother」はこれ以上ないぐらいハッキリとディストピアを表しているのが分かった。ジョージ・オーウェル著「1984」を読んでおいて良かった。
Youtubeでピックアップした楽曲をなんとかかんとかして車の中で聴けるようにし、仕事の移動中に何気に聴いていた。歌詞をよりよく理解するためにカラオケに行って、頑張って歌ってみたりもした。動画で歌詞をジックリ観て曲を聴いたりした。そんな事をしていてある日、突然理解が降って落ちて来た。それは「パレード」だった。
パレードの解釈は一般的には「栄枯盛衰」だろうか?一般論にあまり興味の無い私なので目を通してないし、栄枯盛衰では発表時期とも映画「パプリカ」の作品テーマとも合わないと思う。私の解釈は全く違う。私がそう捉えた時、私の感覚に非常に合致するのを感じた。私もこの世界の未来を共感する、強くそう思い、世に放たれたこの楽曲に深く感動し感謝した。
私の解釈はこうだ。「驕り高ぶった者達のやることなす事を気持ち悪いと感じる少数派の人達、彼らがいずれ多数派に転じ大挙して押し寄せる未来が来る、いやもうすでにそうなっている」これは私の世界観に物凄く一致する。と言うか、私がそう思っているからそう聞こえたと言うのもあるだろうけど。しかし、こんな事を歌う曲を他に聴いた事があっただろうか?あれば教えて欲しい。この瞬間から私は師の大ファンになった。
これまでもプリンスやデビッド・ボウイやジョン・レノンなどもその視点で私は聴いていた。しかし、そこにはキリスト教文化圏における表現は見つかったが、日本と言うディストピアを表すものは無かった。この世の矛盾やタブー、そして解決案が英語で歌われているのを聴いて「欧米ではそうなのかー」と思うしかなかった。私の視野を広げ教養を培いとても為にはなったが、そこからさらに身の回りの現実を肉薄したい気持ちは高まっていた。そこに来て平沢進の楽曲にはそれがあった。私は師の音楽表現について興味を持つのはまさにそこがキーポイントだ。
師の表現は年々変化する、そして提案される解決法は難解を極める。今後、この解釈に取り組んで行くことに決めた。
なので、スマホの着メロもアルバム「白虎野」のアウトテイク「Runner」に変えた。いやそれは関係無いか。ははは

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