音楽の通知簿1の部分的補足

もし漢字テストで「やどや」と出て「屋どや・・・”どや”の字が分からない!」って子がいたら、その子を反抗的だとか悪意があるとか思うだろうか?
先の記事に書いた音楽の試験のエピソードでもうひとつ覚えている事がある。
あの直後、普段喋った事の無い女子から「なんであんな事をしたの?」と聞かれたのだ。
私はなんと答えたかよく覚えていないが「本当に分からなかったから」「多分これだと思ったから」「とにかく音を出さないわけにはいかないと感じたから」とか、当てずっぽうであった事を伝えたと思う。
その女子は「ふーん」ぐらいの反応で特に何も言われなかった。


しかし、今思えば彼女の言いたかった事は
「あんな事を反抗的な事をしたら先生が怒るの当たり前じゃん!学校教育に不満があるのか知らないけどそんな事も分からないのか!先生の気分を害したらその後の試験にまで影響が及ぶかも知れないじゃない!つーことは他のみんな(特に自分)にまで迷惑与えかねない!私のクラスはあんたって爆弾を抱えているようなもんだ!なんであんたみたいのが(まともな人のための)通常クラスにいるのか不思議だわ!」
みたいな強烈な私への否定だったんじゃないかと大人になった私には思う。
空気など全く読めず忖度のかけらも無い私はそんな考えには全く至らなかったので、楽勝で何も臆することなく中学を卒業したけどね。
実際、私には反抗しているつもりも無ければ悪意も無かった。
それを言って伝えたので、彼女も二の句が出なったのだと思う。
つまり「反抗心があったのであれば、彼女の中で理解出来る事」だったのが崩れたのだ。
これをその後、飲み込めたのか知らないが。
先生も私に呆れている様子はあったが、怒っているとは感じなかった。
「音程が聴き取れていないのかも知れない!?」に辿り着いていたかどうか?で言えば、居残りでリコーダーを吹かされた記憶もあるので、辿り付けていないのだと思う。
「盲」と言う概念に「盲」なんだね!
「無知の知」や「吾唯足らざるを知る」でもいいや。
話は戻して、彼女は家で常に「まともになりなさい」と抽象的で圧力的な教育を受けていたのかな?真剣に疑問だったんだろう。
私が「まともでない」そして「まともで無い事によって人に迷惑をかけている」「”まともであれ”と教育を受けていない」と感じ、それを言葉で直接私に聞いたのは物凄く全うな事だと思う。
いずれ「自分も決して常にまともと言えない」「誰しも常にまともではありえない」「すべての人間に共通するものなどない」と気が付いたのかな。
 まともの強制→まともを予測しろ→想像上のまともを演じろ→もし誤ったらお前はまともではない
ところが、この世に明確な”まとも”なんて無い。
特に日本には!この両方が顕著。
何が両方って、「まともになれ」って言われるのと、「なのにまともが明確でない」の2つ。
でも実際「まともになれ!」と抽象的にやたら言われる。
そのゲーム、何が面白いのか私にはさっぱり分からん。
ちょっと試して、無理だと分かって、誰だって投げ出す。
投げ出さなかったら、特攻させられ、死なされる。
同調圧力に殺される。
おいおい、せっかくのまとも人員が減らされている!
矛盾だ!
まともでも全く大事にされない!
危ない!
そこに気が付き、彼女がPurpleな自分の人生を生きている事を祈る。

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