(Facebookに6月6日に書いた記事の転載)
プリンスの死後、私がいろいろ気が付いた話の続き。
ここまで来たらこれは書かずにはいられない。
Purple Rainの曲がこれまでと違って聴こえた。
以前、Purple Rainはアメリカ文化でそれもセレブが絶対に言わない「I’m sorry.」を歌ったからヒットした曲だと思ってた。
実は誰も謝る事の価値を知っているのだけど、アメリカは訴訟社会だから特にセレブは非を認めるとどこまで付け込まれるか分からないので絶対に「I’m sorry.」とは言ってはならなく、プリンスはそれをブチ壊すPurple Rainと言う曲を作ったのだと思ってた。あ、いやこれはこれで間違いでも無いのだろうけど。
ではPurple Rainでは”何に”謝っているのか?
映画「Purple Rain」の中では、プリンスの演じるバンドリーダーKIDが、独善的で秘密主義で強引で自分勝手でわがままで、でバンドメンバーもファンも離れていってしまいそうになってPurple Rainで「傲慢な私でごめん」となっている。普通のポップミュージックならこれでいいと思う。ところがこれがプリンスとなるとここでは収まらない。私がプリンスは「自分の人生を生きろ」と歌っていたと考えるようになると、これがそうでないと聴こえてきた。もし人に「自分の人生を生きろ」と言われた時、自分だったらどんな返事をするか考えてみて欲しい。
「自分の人生を生きろ」
「うっさいわ!俺は自分の人生を生きてるわ!」
「いやいや、社会通念や常識とか宗教の戒律に囚われない、自らの感性に基づく自由な生き方が・・・」
「何が言いたいんや!?常識は常識やし、戒律は戒律やろ!」
「宗教はそういうのを守っていると”死後に幸せになれる”みたいに言っているかも知れないけど、それって今は我慢してるって事で、実際には辛くない?生きている間に自然に幸せになれたらいいと思わない?」
「人は誰しも全く制約が無く生きてるわけでは無し、それが人生やろ!おかしな事言うな!」
「傷つけるつもりは無かったんだ。ごめん。変な事言って、ほんとごめん。うん。君は頑張ってる。でも、僕は紫の雨に打たれる君を見たかったんだ。」←これがPurple Rainの主題
「紫の雨?なにそれ?気になるわー。」
なんかこんな感じと、プリンスの死後に急に聴こえてきた。
ちょっと困った事にPurple Rainって言葉の指しているものは明確には何か分からないけど、新しい価値観を受け入れた先の世界のように思う。
「お前は新しい価値観を受け入れろよ」と言われたら怒る人がいるのも当然で、その場合プリンスは悲しんでそれを受け入れたのだろう。それを歌ったのがPurple Rainだったんじゃないか!?と言うのが私の最新の解釈。そしてプリンスにとってそれは最大の悲しみだったのではないかと思う。「多くの人が常識や宗教の戒律などに囚われ、本当に自由な人生を失っている」と直言を避け、「今を楽しもう」「現実を見よう」「自分の人生を生きよう」と言葉を選んだのに。
最高の技術をもって、最大の感情をこめて、この曲を演奏するプリンスのパフォーマンスは神がかってると言って過言でない。「何を歌っているのか分かった人は手を上げて!」ここでみんな手を上げて振る。そりゃプリンスにとっては嬉しいだろうね!私がプリパに行ったら「みんなプリンスが好きなんだー」と思って嬉しいように。って違うか?レベルが、全く^^
会話部分が作り過ぎだったので、追記。
おそらくPrinceは付き合っている男性のいる女性に何か「自分の人生を生きろ」的なアドバイスをして「そんなん聞けるか、ましてや付き合ってるわけでもないあんたの言葉なんて!」と言われ、「ごめん」と答えたんでなかろうか。
When doves cryの歌詞もPurple Rainを理解するための助けにすごくなるように思う。
Let’s go crazyのPurple Bananaは「分かってる奴」と言ってるんじゃなかろうか。
私は分かってる奴を見付けられた?
見付けられたけど、そう思って見て無かった。
気が付いていたら違ったかなぁ。
Emancipationのプロモーションで「Let’s go crazyはもともと天国と地獄を歌ってた」と言っていたのを思い出すと、エレベータの行き先がそれだったのだと思う。
プリンスの言うPurpleの意味は
「真実に気が付いている」
「自由になっている」
「これから向かう人のあるべき姿」
「各人が自分の人生を生きている」
のように感じてる。
同じ意味でNewやHomeとも言っているように思う。
逆に今の人はどうだかと言うと、
「束縛を受けている」
「束縛に気が付いてもいない」
「自由じゃない」
また当たれていない曲が多いけど例外が無いか確かめたい。