今の日本を理解するために小説「1984年」を読んだ

   「戦争は平和である」
  「自由は屈従である」
 「無知は力である」

これは小説の中に出てくる党の不気味なスローガンだ。
小説「1984年」とは、1949年にイギリスの作家ジョージ・オーウェル氏によって書かれたディストピア系近未来SF小説だ。(Wikipedia「1984年(小説)」)
Wikipediaによると、非常に評価の高い作品である。
> 1998年にランダム・ハウス、モダン・ライブラリーが選んだ「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」、
> 2002年にノルウェー・ブック・クラブ発表の「史上最高の文学100」に選出されるなど、
> 欧米での評価は高く、思想・文学・音楽など様々な分野に今なお多大な影響を与え続けている。
これがとんでもなかった。
小説の読みなれない私は2ヶ月弱かかってやっと読み終えたのだけど、今のこの時代に”間違いなく近未来だ”と感じることの出来る内容だった。
現実と重なるところが多過ぎるほど多い。
いくつもの点で現代と近未来を象徴していると言える。
・先ず主人公の暮らす国はずっと戦争をしている。
・市民団体による反社会的行動により自治が行われている
・記録が書き換えられている。
・人間は3層からなるヒエラルキー構造に属している。
・市民は政府からひどく監視されている。
・行動・思想・表現に自由が無い、教育も満足に受けられず読み書きもままならない。
・言語も単純化が行われ、語は減らされている。
・真実の情報を得る事は出来ない。
・政府方針として本能・直観を否定されている。
・収入が制限されていて購買も満足に出来ない。
・技術開発・文化的進歩などありえない。
・個人の価値は認められない
・人は完全に洗脳された状態で満足して生きている
・真実を見付けた人間と捕えるシステムが出来ている
・囚われた人間は拷問により洗脳される
未来の日本がこうなるのかと思うと、目の前が真っ暗になる。
私はかねてから「日本のアメリカ化」を訴えて来たが、その先の世界の姿をここに見たと感じた。
今の日本は間違い無くこの方向に向かっていると確信する。
手っ取り早くこれを読むためにはマンガ版もあった。
さらに探す手間と再生する環境を用意する手間が無ければ、映画もあるようだ。
とても価値ある小説だったので多くの人に読んで貰いたい。
「1984年 ジョージ・オーウェル」などのキーワードで検索し、出て来た記事を読んでみるのもいいと思う。
そんな小説があるんだと言う事だけでも知って欲しい。


   「戦争は平和である」
小説の中に戦争の意味が書かれている部分がある。
> 世界における新の富を増加させずに、如何に産業の車輪を回転させ続けるかということであった。
> 商品生産せねばならぬ、が、分配してはならないのである。
> 更に実際問題として、これを達成する唯一の方法と言えば、継続的な戦争状態しか有り得なかったのである。
> 戦争の本質的な行為は必ずしも人命の破壊にあるとは限らず、寧ろ労働による生産品を破壊する点にあると言える。
この状態を求める、日本政府とはいったいどういった組織なのだろうか?と思わないだろうか。
「戦争とはタダで生産物を破壊するための活動」だと説明する。
どこかの拷問では、
「午前中に穴を掘らせ、午後からは穴を埋めさせた」
と聞いた事がある。
これを受けた囚人は気が狂うのだとか。
ならば戦争は?
この点だけでも戦争がいかに合理的でないかと私は思う。
しかも、”タダ”ではないケースであればなおさらだ。
なんのために戦争などしなくてはならないのだろうか?
非文明的ですらある。
  「自由は屈従である」
個人について書かれている部分はこうだ。
> 党は権力のために権力を求めてのでのはなくて、
> 大多数のためにそうしただけに過ぎないこと、
> 民衆はか弱く。卑屈な人種であって自由に耐えられないし、真実を直視し得ないから、
> 彼らよりも強力な集団によって支配し、組織的にだまされねばならないこと、
> 人間にとって選択は自由か幸福かであり、その大多数にとっては幸福がはるかにましなこと、
> 党は弱者にとって永遠の保護者であり、善をもたらすために悪を行い、
> 他者のために自己の幸福を犠牲にする献身的な一派であるということだ。
「自由で不幸」であるか「不自由で幸福」であるかの2つに1つしかないと勝手に考えられ、
さらに「不自由で幸福」を突き付けてくる。
日本政府がやっている事はこれに間違いないだろう。
「戦争に向かっているけど、人の血が流れるんだぞ!」といくら訴えたところで、
「それがあなた達の幸せでしょ?」としかならない。
これを理解して行動をしなければデモも仲間集めにはいいかも知れないが、本質的には徒労だろう。
 「無知は力である」
無知についてはズバリの文章を抜き出すことは私には出来なかったけれど。
無知を強要された状態、矛盾を突き付けられ「2+2は5」と言われたら「2+2は5です」と言った方が自分が助かると言う状況が社会に対して起こっている
そして過去の記録が次々と書き換えられ、記憶と食い違うが人はついに「発表を鵜呑みにした方が楽」となる。
記憶や経験に価値を見出されず、過去は常に書き換えられる、そしてそれに従順であればあるほど楽に生きながらえる。
TV・新聞で嘘のニュースばかりが流れ、「そりゃおかしいだろ」と誰しも思うが、鵜呑みにした方が楽で幸せになれる。
もしこれを不合理と認識し対抗するように行動をすれば、監視社会であるため、捕えられる。
そして治療と言う名の洗脳が施される。
洗脳は拷問によって行われ、ついに全く疑問を持たないまでの精神状態にまでされる。
「あぁそういう小説なんだなぁ」と思われるかも知れないが、小説を読むとそのリアリティに驚かされる。
私は『多重人格はこうして作られる』シスコ・ウィーラー著などの洗脳や拷問などの本も読んだ事があるので、これは有り得る事に感じた。
すると日本の某安倍晋三氏なんかはその拷問を受けた人なのではないかと思えてくる。
過去の死んでしまった首相達は拷問に耐えられなかった人達なのではないかとも。
「1984年」過去に書かれたすでに過去の年号の空想小説だとバカにして読むと痛い目を見る。
「1984年」はこう言った事を猛烈に考えさせられる小説である。
是非、現代の日本に照らし合わせてみて欲しい。

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