怒りのメカニズムについての考え

久々の日記なのにこんなタイトルを付けてみた。
ある時、別のSNSで人がやりとりしているのを見たときにふと思ったけど、そこで私がこれについて口を挟むことが出来なかった。
考えた内容があるのにそのままどこにも出さず忘却してしまうのももったいないと思ったので書いておこうと思った。

私は「怒り」の発生は無力感に基づいていると言う見方を採っている。
何かの場面で「これはこのままではいけないが、しかし自分には打つ手がない」と感じた時に、行動の欲求が起こるが、行動が出ない、そうした時に「怒り」が起こると考えている。
例えば、第三者が話しているのを見ていて、自分が好ましくないと思う方向に話が進んでいて、その話に口を挟むことが出来ないときに「なんであんな言い方をするのかな、ロクな事にならないのに!」と腹が立つのは想像し易いだろう。
もうひとつ例えば、自分がやらないように心掛けている事をやっている人を見たとき腹が立つ。
騒いではいけない場所で騒いでいるのを見たり、技術を身につけなくてはならない場面で全然出来るようにならない人を見たり、言うべきでない事を言う人を見たり、、。
これは先ず、本人の中にすべきで無い事が前提としてあり、相手にそれがなく、伝えて従わせる事が出来ないと感じため怒りが起きる。
これもよくよくあるパターンだ。

怒りはエネルギーの発散方法の中でもラストに近い位置にるんじゃないか?と私は思う。
怒りにまかせて怒号が出たり手が出たり、辺りにまき散らしたり、暴飲暴食やふて寝なんかもあると思う。
最近はアンガーマネイジメントとか言うけれども、上の前提に立ては2つの対処方法が見える。
これは、話の進む方向がなんとも思わない方向では怒ることはないし、話に口が挟めればまた怒る前に対処出来る。
なので、まず1つ目は、良くない事のハードルを下げること。
「まぁなんとかなるんじゃね」「取り返しのつかない事にはならないんじゃね」「いつもあれでなんとかなってるよな」「なんらかのメカニズムで最悪の事態にはならない」「むしろこれでいい状態」諦めだけど、そう思えるとまぁなんとか平穏な気持ちでいられると思う。
もう1つは強力だ。
自分に出来ることを増やしておき、この場面で私の能力が発揮出来るとなると怒りは起きない。
自分で未来の悪い予感に対し対処出来れば無力感など感じるハズがない。
これはいろいろ技術を身に着ける意味にもなる。
人間的成長ってここにあるんじゃないかとさえ思う。
私はそうして無力感を感じる場面を減らす事をしていきたいと思っている。

もし、怒ってばかりいる人を見たとき、このメカニズムでその人は何に無力感を感じているのだろう?と考える事は有用に思う。
で、一番最初に話を戻すと、私のそのSNSで口を挟む事は出来なかったけど、ここの記事が書けるので平穏だ。
え?誰かが私のやることなす事に腹を立ててるって?
それを私に伝える事も出来ないから余計腹が立つんだろうな!

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