プリンスの骨壺がペイズリーパークに展示されているとか。
で、今「まさかそんなものが展示されているとは!プリンスがそれを望んだのか?」と議論になってる。
知らずにそれを見て、ショックを受けた人もいるとか。
遺書や遺言に「遺灰は展示してね」とか言った内容があったともまだ聞こえてきていない。
宗教的な意味は私には分からないけど、私自身の考えとしてこれは「いいと思う」。
各個人の中のプリンスは様々な意見を持ってると思うけど、そのどれもがかつてプリンスと呼ばれた人物のアイデアではない。
私の中のプリンスはこだわらず「好きにしたらいいよ」みたいに言っている。さらに私の中のプリンスはペイズリーパークについてこう言っている。「そこには古いものしか無いよ」
とは言え、観たいものは観たい。プリンスがどういった環境で過ごし、曲やショーやスタイルなどなどを作っていたのか?そこで観たもので「あっ、これがあったからプリンスには出来たんだ!」と分かることが必ずあると思う。環境が変わってしまわないうちにそれを一目見てみたい!と思うのは自然だろう。私ももちろん行って観てみたい。でも現状、予定無し。
生きていればプリンスは「そんなことよりほらこの新しい曲を聞きなよ」と言ってくれると思うが、今はもうこの世にいない。新しいものを作るのはプリンスではなく、残された人達だ。
ペイズリーパークだって、現にフェンスや駐車場が出来たり、ツアー用に改装が施されたと思う。つまり、プリンスがいた時のままではないと言う事。でも、それは否定的無い事ではなく、時代と共に移り変わっているという肯定的な事だと私は思う。
さて、骨壺問題。
骨壺についてはどうか?プリンスの生前には無かった新しいものである事は間違いない。私はプリンスは常に「自分の人生を生きろ」と呼び掛けていて、Controversy(論争)などの「自分で考え行動する事」を求めていた思っている。私の中のプリンスは「社会規範や文化・宗教が自分の意志に合わなかった時、それに従わなくて良い」と言う。であれば、骨壺の展示はまさにそれであり、ペイズリーパークはちょっと趣向が良くない気もするけど「プリンス的な事をした」と私は思う。
もう一方の考えは容易に私も思い付く。ツアーや展示として配慮するやり方。事前に「ペイズリーパーク内に新しく出来た祭壇があって、お祈りが出来ます」ぐらいの案内があって、そこは花や遺影が飾られていてパッと見て骨壺だとは思わない物も置かれている。「あれ何?」と聞くとスタッフはニッコリして「プリンスのプライベートなものが入っています」ぐらいの返事で、骨壺とは明言しない方向。普通にいい対応かも知れないけど「プリンス的ではないなぁ」とも思わないレベルに自然。気が付かない。あれだけ「目を覚ませ」と連呼したプリンスが、ハッとさせない事を望むだろうか?Stand up, Organize!
そして、論争。
私はこれもいいと思う。なぜならそれはその人の意志の表明だから。そしてその行動を評価している。同じ考えの人は賛同したらいいと思うし、そうでない人は見守ったらいいと思う。昔はちょくちょく目にしたと思う「みんなこうすべき!みんなでこうしよう!」と言う呼び掛けは今時流行らないよね。それから私はさらに「武士に二言は無い」みたいな「一回言った事を引っ込められるか」みたいのも今風でないと思っている。「状況が変わったので」とか「新しい情報が入ったので」とかいつでもひっくり返して、以前の時と同じぐらいの勢いでまた新しい考えを表明して欲しい。何故ならそれは新しいから。Welcome。
蛇足。私は「何々すべきでない」はどうしても言わないといけない場面もあるとは思うけど、この言葉はちょっと呪いの言葉かもと思う。気を付けないと。
Damned if I do, damned if I don’t~♪
さらに書き足し。「あいつこんな事言ってたから、もう口きかん!」はさらに悲しい。また口きいて「あれはなんであぁ言ってたん?」と直接聞いて欲しい。Feel Better、Feel Good、Feel Wonderful。