ワールドカフェを体験して~時事ネタオンチの私についての補足~

2011/1/23(日)に妻と友達と百万石ワールドカフェに参加して来ました!
いつも妻から聞かされていたワールドカフェと言うものに、ようやく参加する事が出来ました。
体験して初めてワールドカフェがどういった形式のものなのか分かって、
あーこーいう事だったのかと。
つまりは、発想の展開とか、たくさんの人の意見を聞くとか、
自分の考えている事を人に伝える事や、過去にあった出来事を人に伝えるとか、
そう言ったトレーニングになってるんだなーというのが私の印象でした。
私は何か結論が出なくても気にならない方なので、これはこれで非常に納得出来ました。
発想の行き先はもっともっと多方面に行くかと思いきや、
けっこうありきたりのが多いようで
「これだけ雑多な話し合いを行っても、辿り着くとこは結局そのへんなんだなー」と不思議でした。
具体的な事から話しても抽象に進めば進むほどどうしてもそうなるのかなぁ?
今回のテーマが「今年変えたい事」みたいな感じだったので、真っ先に私は
「変えたいと言う思い→その根底にはコンプレックス→例えば私のコンプレックスは!→時事ネタオンチ」
と思い付いたのでそれを話しました。
でも、なんだか?明らかなツッコミポイントにツッコンで貰えなかったり、
時事ネタオンチを肯定されたり?
でも、私ももっと上手く話せたら面白い話が出来たのか?と。
中身の補足は後でするとして、
やはりワールドカフェでも、話す時のポイントは、
抽象的な事よりも実体験に基づく具体例ですね。
かの岡田斗司夫氏も「これが出来たら、一流のジャーナリストになれる」と動画で言っていた気がします。
抽象的な「なになにをあれあれしたい。でも、どうしたらいいのか分からない」よりも
「本当に私って●●過ぎて困ってるんです、もやはコンプレックスなんです。今朝もこんな事があったんです・・・」と2パターン。
前者は「それってどういうことなん?」「何がいったい問題なのかワカラン」「少なくともしたい事が分かってるなら、それをすれば?」的なツッコミが突き刺さる様子が目に浮かぶし、
後者は「ははは、それでもいいと思うけど、困ってるんならーそうだねー」と話が進む気がするのは私の我田引水でしょうか?
あと私的にはワールドカフェでは「私一人がそう思ってても、周りがウンヌン」って話をたくさん聞いた気がしました。
私は「自分が楽しくなる方法を突き止めれば、少なくとも自分は楽しくなれるんじゃないかな」と思いました。
そしてその方法が人から見て「かっこいい、真似したい」と思わせるような物であれば、特に働きかけなくても仲間は自動的に増えるんでは?と。
さらにもしかしたらその方法が確立したならきっと自分は他の場所に挑戦したくなるんじゃないかなぁ。


ここからは時事ネタオンチの補足です。
私はワールドカフェで「自分の時事ネタオンチをどーにかしたい」と言ったのだけど、
「実際、時事ネタオンチではないんじゃない?」「時事ネタオンチもいいんじゃない?」と肯定されてしまったり、
「私はTVも新聞も観ないんです」と言ったのに「じゃぁそれらを観るようにしたら?」と言うツッコミも貰えず、
議論は道無き道を行く感じになりなかなか楽しかったのですが、そこかー!ってとこしか行けませんでした。
時事ネタオンチは例えば、職場に行って朝「昨日どこどこであった地震凄いことになってるみたいね」と言われて、
「えっ、いまそんなニュースが流れているの?」とか、そんな感じ。
これを肯定されてしまい「もしかしてこれは本当に自分のコンプレックスとしか言いようの無い物なのか!?いやそうではあるまい」と以下の例を考えました。
 あなたは朝起きた時、ヒドイ寝グセでした。
 でもそれに気が付かずそのまま職場に行きました。
 で、同僚に指摘されました「お前、今日ヒドイ寝グセだぞ!」
 「えっ、マジで!?うわっ本当だ!恥ずかしー!!!」
何を言いたいのかと言えば、寝グセも情報で、
寝グセを事前に捉える事が出来ていたなら、恥ずかしい思いを回避出来てたと思います。
そして、この状況から連想する発想はこんな感じなんじゃないかと?
「今日はいったい何があったのか?」「朝から鏡見てないのかよ」「そんなんでよく職場に来れるな」「万事その調子だよね」
「そんなんで仕事は出来てるの?」「次のプロジェクトは任せられないな」「さあ、早く刺身の上にタンポポをのせる仕事に戻るんだ」
後半ちょっとエスカレートしたけどいくつかはは私は実際聞いた事があるような気がします。
時事ネタって恐ろしいですよね。
よく分からなくなってしまって、もうこの記事終わらせてしまいたくなったので、ここまでにします。
ギャフン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です